1932– | 統計裁定 / HFT
| 氏名 | Edward Oakley Thorp(エドワード・ソープ) |
|---|---|
| 生年 | 1932年8月14日 |
| 出身 | イリノイ州シカゴ |
| 学歴 | UCLA 物理学学士・数学修士・数学博士(1958) |
| 主要キャリア | MIT講師 → ニューメキシコ州立大学 → UC Irvine 数学教授 → Princeton-Newport Partners → Edward O. Thorp & Associates |
| 代表的業績 | カードカウンティング / ワラント裁定 / 統計裁定の発明 / 初のウェアラブルコンピュータ(共同開発) |
シカゴの貧困家庭に育ち、独学で科学と数学を学ぶ。UCLAで数学博士号を取得後、MITで講師を務めながら、情報理論の父クロード・シャノンと出会い、共同でルーレット予測用の世界初のウェアラブルコンピュータを開発(1961年)。
1962年、ブラックジャックにおけるカードカウンティングの数学的理論を「Beat the Dealer」として出版。この本はベストセラーとなり、ラスベガスのカジノに衝撃を与えた。カジノはルール変更やマルチデッキ化で対抗を余儀なくされた。
重要なのは、ソープの目的は金銭ではなく「確率論は実践で機能するか」という知的命題の検証にあったことである。カジノでの成功は、この命題を証明する手段に過ぎなかった。
カジノで「確率的優位性は実践で利益に変換できる」ことを証明したソープは、同じ原理を金融市場に適用することを着想。UC Irvineの数学教授Sheen Kassoufと共同で、ワラント(新株予約権)の理論価格と市場価格の乖離を利用する裁定戦略を開発。
1967年、その成果を「Beat the Market」として出版。この本で示されたワラントのヘッジ手法は、後にBlack-Scholesオプション価格モデル(1973年)の基盤の一つとなった。ソープ自身も、Black-Scholesに先立ってオプションの理論価格を独自に導出していたとされる。
1969年、ニューヨークのブローカーJay Reganと共同でPrinceton-Newport Partnersを設立。これはヘッジファンド史上初の本格的なクオンツファンドとされる。
ソープとReganは役割を明確に分担した。ソープはカリフォルニアで数学モデルの開発と戦略設計を担当し、Reganはニューヨークで取引執行を担当。この「研究と執行の分離」モデルは、後のクオンツファンドの組織設計に影響を与えた。
Princeton-Newport Partnersは19年間の運用期間中、年率平均約20%(手数料後)のリターンを記録し、マイナスの年は一度もなかった。この期間中にソープは統計裁定(statistical arbitrage)の基本概念を開発。株式間の統計的関係を利用して市場中立のポートフォリオを構築する手法は、後にDE Shaw、Renaissance Technologies、Citadelの中核戦略となる。
1988年、パートナーのReganが税務調査に関連して起訴され(後に有罪判決)、ソープはファンドを清算する決断を下した。運用成績とは無関係の終焉であった。
Princeton-Newport Partners清算後、個人資産と少数の投資家の資産を運用するEdward O. Thorp & Associatesを設立。より小規模ながら引き続き優れた運用成績を維持。
バーニー・マドフの詐欺を業界で最も早い段階で見抜いた人物としても知られる。1991年にマドフのリターンパターンを分析し、統計的にありえないほど安定したリターンの背後に詐欺がある可能性を指摘していた。
2017年、自伝「A Man for All Markets」を出版。カジノから金融市場まで、確率論の実践的応用の半生を記した。
ソープの最大の革新は「カジノと金融市場は本質的に同じ確率的ゲームである」という洞察。カードカウンティングで証明した「確率的優位性は実践で利益に変換できる」という原理を、ワラント裁定→統計裁定→オプション理論へと段階的に拡張した。この「カジノから市場へ」という知的系譜が、クオンツ運用業界全体の起源となっている。