CREATOR ECONOMY · EPISODES
ISSUE 01 / 2026
音楽エピソード
Blackstone × Hipgnosis Songs Fund 買収(2024年7月・約16億ドル)
世界最大の代替資産運用会社Blackstoneが、ロンドン上場の音楽ファンドを約15.8億ドル(約2,300億円)[3][4]で完全買収。Red Hot Chili Peppers、Neil Young、Justin Bieberら45,000曲[3]が機関投資家のポートフォリオに入った。上場モデルの失敗と、音楽が正式な「資産クラス」として確立された転換点。
3行サマリ
- 規模: 2024年7月、Blackstoneが英国上場の Hipgnosis Songs Fund(HSF)を約15.84億ドル(EV約22億ドル)[3][4]で非公開化。45,000曲超・138カタログが対象。買収後8ヶ月でカタログ評価額は29.5億ドル[5]へ上昇した。
- 転換点としての意義: 運用資産総額約1兆ドルのPE最大手が音楽ロイヤリティをポートフォリオに正式組み込み、15億ドル規模のABS(資産担保証券)[1]を発行。「音楽が金融商品と同等の信用分析に乗る」構造を業界で初めて実証した。
- 現在の動き: 2025年3月にRecognition Music Group(RMG)に改称。同年6月にはSony Music PublishingがHipgnosis Songs Groupを買収し、ポスト・Hipgnosis時代の再編が続く。
A. 何が起きたか
前史:Hipgnosis Songs Fund の誕生と急拡大(2018〜2021年)
Hipgnosis Songs Fund(HSF)は2018年7月、英国ガーンジー島に設立された投資会社としてロンドン証券取引所(LSE)に上場した。創業者はMerck Mercuriadis(メルク・マーキュリアディス)。かつてElton John、Iron Maiden、Beyoncéのマネージャーを務めた人物で、「音楽カタログはインフレヘッジ資産である」というテーゼを掲げ機関投資家に売り込んだ。
上場時の目標調達額は2億ポンドだったが、わずか数時間で完売。以降、HSFは年率30〜50%ペースでカタログ買収を繰り返す。主な対象:
- Shakira の楽曲カタログ(163曲)
- Red Hot Chili Peppers の California Suite(非公開金額)
- Neil Young カタログ(50%の権利持分)
- Justin Bieber のパブリッシング権(推定2億ドル前後、2021年)
- Leonard Cohen 遺産カタログ、Journey、The Chainsmokers 等
2021年のピーク時、HSFの時価総額は約22億ポンドに達し、NAVは1株あたり1.8ポンド超を記録した。同年、Blackstoneはプライベートな「Hipgnosis Songs Capital(HSC)」に10億ドルを投資する提携を発表。このときはあくまでHSCへの資本参加であり、上場会社HSFの買収ではなかった。
危機の到来(2022〜2023年)
2022年に米連邦準備制度(FRB)が急激な利上げを開始すると、音楽カタログの割引率が上昇し、将来ロイヤリティの現在価値が急落。HSFの株価はNAV(純資産価値)を大幅に下回って推移した(「NAVディスカウント」)。
2023年9月、Mercuriadisは打開策として、29カタログをHipgnosis Songs Capital(Blackstone関連)に4億4,000万ドルで売却する案を提示。しかし既存株主はこれを「NAVよりも大幅に低い価格での資産売却」として強く反発。2023年10月26日の株主総会で大差で否決され、新取締役会が設置された。
入札競争と最終合意(2024年4〜7月)
2024年春、HSFへの買収提案が相次いだ。主要入札者はConcord Music Group(アポロ・グローバル・マネジメント傘下)が1株1.25ドル、Blackstoneが1株1.30ドル[2]を提示。2024年4月29日、HSF取締役会はBlackstoneの提案を支持すると発表した。
取引スキームは英国法に基づく「コート・スキーム(Court Scheme)」方式を採用。75%以上の株主賛成が必要だが、成立すれば全株主に拘束力を持つ。2024年7月8日、株主総会にて賛成率99.97%[4]で可決。7月29日にガーンジー登記所への登録が完了し、HSFは正式に非公開化された。
ファイナル条件のまとめ
| 買収価格 | 1株あたり1.31ドル(スキーム承認後に若干上昇) |
| 総買収額 | 約15.84億ドル(約2,300億円) |
| 企業価値(EV) | 負債含む約22億ドル |
| カタログ楽曲数 | 45,000曲超(138カタログ) |
| 主な保有アーティスト | Red Hot Chili Peppers、Neil Young、Justin Bieber、Shakira、Leonard Cohen、Journey 等 |
B. 業界インパクト
インパクト1:音楽がオルタナティブ資産クラスとして確立
Blackstoneは世界最大の代替資産運用会社(2024年時点の運用資産総額約1兆ドル)。同社がポートフォリオの一角に「音楽ロイヤリティ」を正式組み込んだことで、機関投資家(年金基金・保険会社・ソブリン・ウェルス・ファンド等)への説明責任が整った。
- 2024年8月、独立評価機関がHSFカタログを24億ドル(買収時より約1.8億ドル増)と評価
- 2025年3月時点の評価額:29.5億ドル(追加資産3.4億ドルを含む)
- 取得から約8ヶ月でのキャピタルゲイン:約7〜8億ドル相当の「評価増」
インパクト2:ABS(資産担保証券)発行による資金調達新モデル
買収完了後、Blackstoneは「Landmark Music ABS Transaction」を主導。HSFカタログから発生するロイヤリティ・キャッシュフローを担保として15億ドル規模のABSを発行。構造は複数のトランシェ(上位AA格〜下位BB格)に分割され、リスク許容度に応じた機関投資家に販売された。
以下の点で業界初の構造:
- 上場廃止→私有化→ABS化という三段階スキームの完成
- 単一発行体による最大規模の音楽ABSとして記録
- ロイヤリティを「定期的なクーポン支払いの原資」として格付けし、音楽が「金融商品と同等の信用分析フレームワーク」に乗る
インパクト3:競合・業界構造への波及
- Primary Wave: 2024年2月、22億ドルの追加調達(KKRなどPEから)を発表。音楽カタログ分野へのPE参入継続(推定)
- Concord Music Group: HSFへの入札敗北後も、他カタログ買収を継続(2024〜2025年複数件)
- Round Hill Music Royalty Fund: Blackstone-Concord連合の標的となり、最終的にはRecognition Music GroupがRound Hillを2024年に吸収
- Kobalt Capital: 独立系音楽出版会社が独自にPE資金を調達し、対抗する動き
インパクト4:Mercuriadisモデルの終焉とナラティブの転換
HSFが「上場ファンド×音楽」の最初の試みとして2018年に登場した際、Mercuriadisは「音楽は株式より低相関で安定した資産」「ストリーミング増加でロイヤリティは年率5〜7%成長」と主張した。2022年以降の金利上昇は、このモデルの根本的脆弱性(高バリュエーション×低流動性×マネージャーとの利益相反)を露わにした。
Blackstoneへの売却は「Mercuriadisナラティブの終わり」を意味するが、一方でBlackstoneが「音楽カタログを長期保有型PEファンド資産に適した商品である」と判断したことは、別の形で音楽の資産クラス確立を証明した。
C. 失敗と教訓
失敗1:NAVディスカウントと利益相反構造の設計ミス
HSFの組織設計には根本的な利益相反が内在していた。Mercuriadisの運用会社(Hipgnosis Song Management)はHSFに対して「アドバイザリー報酬」を徴収する一方、取締役会は実質的にMercuriadisの意向を無効化できなかった。さらに「コール・オプション」条項(運用契約終了時に全資産買戻し権)は、取締役会が運用会社を解雇しようとすれば全カタログがMercuriadisの手に戻るという「核の抑止力」として機能した。
教訓: 公開市場ファンドにおける音楽投資では、運用会社とファンド株主の間の利益相反を構造的に排除するガバナンス設計が不可欠。Blackstoneによる完全私有化は、この問題を「公開市場から撤退する」ことで解決した。最終的には取締役会がコール・オプション行使に備えた20百万ポンドの補償金を潜在的な買収者に用意するという異例の対応が取られた。
失敗2:割引率感度分析の欠如
音楽カタログの評価は通常「ネットロイヤリティ収入×マルチプル(17〜25倍)」で算出される。HSF設立時のバリュエーションは低金利環境を前提とした高マルチプル(20〜25倍)を採用。2022年以降の利上げにより、独立評価機関は2024年にHSFの一部カタログを26%切り下げ[7]た。ロイヤリティ型資産の評価には「金利シナリオ別感応度分析」が必須で、割引率が1%変化するだけで評価額が10〜15%変動し得る。
失敗3:カタログ品質の均一化幻想
Mercuriadisは「スーパースターの楽曲はどんな経済環境でも安定したロイヤリティを生む」と主張したが、実際にはカタログ間の品質差が大きく、一部カタログは期待値を大幅に下回った。26%の切り下げは「全てのカタログが等価の安定資産」という前提が崩れたことを示す。
D. 炎上・スキャンダル
- Neil Young問題(2022年1月): Neil Youngが「偽情報を流すポッドキャスター(Joe Rogan)を放置している」としてSpotifyからの楽曲撤退を要求。HSFはNeil Youngカタログの50%権利を保有していた。「カタログ所有者が意に反した形でアーティストの楽曲利用条件に干渉できるか」という法的・倫理的問題を提起した。最終的にYoungはSpotifyに戻ったが、カタログ所有者とアーティストの利益相反リスクを業界に再認識させた。
- カタログ評価の不透明性: HSFが採用した独立評価(Shot Tower Capital)の方法論についても疑義が呈された。ロイヤリティ収入の過去5年平均を取るか3年平均を取るか、海外サブパブリッシング費用の扱いなど、入力値の違いで評価額が大きく変わる問題は買収完了後も続いている。
- 過度なライセンシングリスク: Blackstoneが短期収益を優先してカタログを安売りすると、アーティストのイメージを損ない長期的なロイヤリティ収入に悪影響を与えるリスクが指摘されている。特に「意思のある」アーティスト(Neil Young等)との方針対立の可能性が残る。
E. 現在の動き(2025〜2026年)
- Recognition Music Group への移行(2025年3月): Blackstone傘下のHipgnosis Songs FundはRecognition Music Group(RMG)に改称。45,000曲を引き続きRMGが保有・管理する。
- Sony Music Publishing によるHipgnosis Songs Group 買収(2025年6月)[6]: Sony Music Publishing(SMP)がRMGからHipgnosis Songs Group(HSG)を買収。HSGはサードパーティPA(パブリッシング・アドミニストレーション)部門で、Sabrina Carpenter、Blake Mills、St. Vincent、Kali Uchis等を含む約4,400曲が対象。ただし45,000曲の核カタログは引き続きRMG(Blackstone傘下)が保有する。
- カタログ評価の継続的上昇: 2025年3月時点の第三者評価額は29.5億ドル(2024年8月評価24億ドルから約23%増)[5]。Blackstoneが1.58億ドルで買収した資産の評価が、わずか1年弱で1.87倍超になった計算。
- 次の入札対象観測: BMGライツ(Bertelsmann傘下、資産規模推定40〜50億ドル)のスピンオフ・売却観測が2025〜2026年に高まっている。Blackstoneのほか、KKR、アポロ、CVC Capitalも参入意欲を示しているとされる(MBW、2025年12月報道)。
References — 数値の出典
- Landmark Music ABS TransactionBlackstone Press Release
- Hipgnosis Board Backs Blackstone Bid Over ConcordBillboard
- Done Deal: Blackstone, the New Owner of Hipgnosis Songs Fund (2024年7月)Music Business Worldwide
- Hipgnosis Songs Shareholders Approve $1.58bn Blackstone DealInvestment Week
- Hipgnosis Catalog Valued at $2.36bn (2025年3月)Music Business Worldwide
- Sony Music Publishing Acquires Hipgnosis Songs Group (2025年6月)Variety
- Hipgnosis Portfolio Value Cut 26%Billboard