LSE上場の音楽著作権投資ファンドで、83%の株主が「5年継続」を否決。同日に提案されたBlackstone傘下への4億4000万ドルのカタログ売却案も否決され、経営陣が全面崩壊した。上場モデルで音楽を運用することの構造的限界を露わにした歴史的事件。
Hipgnosis Songs Fund(HSF)は2018年7月にLSE(ロンドン証券取引所)に上場した音楽著作権投資ファンド。創業者はMerck Mercuriadis(元Guns N' Roses、Iron Maiden等のマネージャー)。「音楽著作権は株式や債券に相関しないインフレヘッジ資産」というテーゼを掲げ、機関投資家と個人投資家の双方から資金を集めた。Blackstoneは2020年7月に10億ドルの投資パートナーシップを締結し、私募ファンドHipgnosis Songs Capital(HSC)を別途運営していた。
2018年から2022年の間にHSFが買収した主要カタログ:
| 2022年Q4 | 米国金利急騰→将来キャッシュフロー割引率上昇→カタログ評価下落 |
|---|---|
| 2023年1月 | 独立評価機関Citrin Coopermanが印税予測を21.7百万ドル→9.9百万ドルに大幅引き下げ |
| 2023年3月 | HSF株価が65ペンスまで下落(IPO時の116ペンスから44%下落) |
| 2023年6月 | NAVの34%ディスカウントで取引される状態が継続 |
| 2023年8月 | 戦略的見直し(Strategic Review)を発表 |
Citrin Coopermanの評価手法変更が特に致命的だった。従来の「業界標準の倍率方式」から、金利環境の変化に伴ってDCF(割引キャッシュフロー)の割引率を大幅引き上げる手法に変更。音楽著作権評価の「見せ方」の問題が一気に表面化した。
| 継続投票(Continuation Vote) | 賛成 17% / 反対 83%(否決)[2][4] |
|---|---|
| Blackstone系列への4.4億ドルカタログ売却案 | 賛成 約20% / 反対 約80%(否決)[3][5] |
| 即日退任 | 会長 Andrew Sutch、非執行取締役 Paul Burger・Andrew Wilkinson |
Investment Trust(英国のLSE上場型閉鎖型ファンド)は法制上、5年ごとにファンド継続の是非を株主が問う。賛否が逆転した場合、ファンドは清算・再編・売却の選択を迫られる。今回は過去に類を見ない83%という否決率だった。「NAVの50%未満での売却」として機関投資家が猛反発したカタログ売却案も同日に否決され、経営陣は完全な敗北を喫した。
2023年11月以降、新独立取締役3名が就任し再建計画を策定。Elliot Management(ポール・シンガー系ヘッジファンド)等が買収圧力を強化した。Mercuriadisは「Call Option」(優先的に私募ファンドに売却する権利)を主張して時間稼ぎを試みたが、機関投資家はこれを権利の悪用と解釈し、関係が決定的に悪化した。最終的にCall Optionは有効とはみなされず、Blackstone取引が成立する。
2024年4月、Blackstoneが1株1.31ドル(総額15.84億ドル)でHSFの全株式を取得するScheme of Arrangementを発表。株主の99.97%が承認し、2024年7月に買収が完了[7]。MercuriadisはInvestment Adviserの役職を退任し[6]、HipgnosisはBlackstoneの非公開ポートフォリオ企業となってLSE上場が廃止された。
| 指標 | ピーク時(2021年頃) | 2024年 Blackstone 買収時 |
|---|---|---|
| 株価 | 〜1.25ポンド | 1.04ポンド(約1.31ドル) |
| NAV比較 | NAVと概ね一致 | NAVより約20〜25%低い |
| カタログ評価額 | 約26億ドル | 約21億ドル(推定) |
| 保有カタログ数 | 65,000曲以上 | 約40,000曲(一部売却後) |
2021年ピーク時に約20億ドルを超えていた時価総額は、2024年の買収時には実質的にディスカウント決着。Hipgnosis Songs のライバルとして上場を計画していた複数の音楽ファンドが計画を撤回し、Round Hill Music Royalty Fund(別の上場音楽ファンド)も2023年に非公開化した。
Citrin Coopermanに代わる新しい評価基準の策定が業界横断で議論に上がった。ABS(Asset Backed Securities)方式とファンド方式の比較が活発化し、Music Business Worldwide が「音楽著作権の評価は科学ではなく、政治的プロセスに近い」と論評した。
大型音楽カタログ取引は継続するが、「ファンド化して一般投資家に公開」するモデルへの懐疑が定着。Hipgnosis以降、音楽カタログの大型ディールはPEファンド(Blackstone、Apollo、KKR等)が非公開で実施する方向にシフトした。
英国Investment Trust(LSE上場閉鎖型ファンド)は純資産価値(NAV)と市場価格が乖離しやすい構造を持つ。音楽著作権の「正しい価値」に市場コンセンサスがなく、金利上昇期には長期キャッシュフロー資産が大幅に割引される。個人投資家は「配当利回り」を主に見ており、NAV変動への感度が低かった点も問題を深刻化させた。
Mercuriadis率いるHipgnosis Song Management(HSM)はHSFのInvestment Adviserとして買収カタログの評価・選定に関与しつつ、Blackstoneから支援を受けるHipgnosis Songs Capital(別の私募ファンド)も運用していた。HSFとHSCが同じカタログをめぐって競合する利益相反の可能性があり、英国FCA(金融行為監督機構)は2023年に調査を開始した。
低金利時代(2018〜2021年)にMercuriadisは積極的にカタログを購入したが、過大な倍率(NPS倍率17〜22倍)での買収が多く、Citrin Coopermanが当初使った評価倍率が市場実勢と乖離していた可能性が後に判明した。Neil Young等一部アーティストが「約束した収益が出ていない」と不満を表明するケースも出た。